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沖縄の祈り

明日6月23日は慰霊の日。

沖縄にいるときはもちろん、東京に来てからの12年間も絶対に忘れない。

6月23日は

沖縄県民にとって特別な一日

「慰霊の日」です。

私は東京に来てからも慰霊の日の黙祷を1回も欠かしたことはありません。

仕事中でも必ず手をとめて沖縄に向かって手をあわせています。

東京に来て驚いたのは、慰霊の日があまり知られていないことでした…

その事実は私にとって、とてもとても悲しいことでした。

 

 

慰霊の日

1945年6月23日に、日本軍司令官の牛島満の自決により、沖縄戦の組織的戦闘が終了。

慰霊の日は、沖縄戦が事実上終結したと言われている日です。

(実際は、その事実を知らずその後も自決等でたくさんの方が亡くなっています)

明日の慰霊の日を、迎える前に

・沖縄でおきた悲劇について
・忘れてはいけない悲劇について
・そして「平和」について

少しだけ一緒に考えることが出来たらと思います。

「ありったけの地獄を一つにまとめた戦争」こう表現される沖縄戦。

沖縄戦は日本で唯一の地上戦でした。

沖縄県平和祈念資料館によると戦没者は200,656人。

米国側が12,520人
日本側が188,136人

うち沖縄県出身の人は122,288人
一般市民は94,000人

県民の4人に1人が亡くなったのです。

日米両軍が総力を挙げて戦った沖縄戦

米軍はおびただしい数の砲弾を沖縄に撃ち込みました。

この「鉄の暴風」は3ヶ月におよび、沖縄の姿を一変させたのです。

 

沖縄の祈り

沖縄の学校では6月になると慰霊の日に向けて平和学習という名で、戦争や平和について考える時間がたくさんありました。

その中で、おじーやおばーに沖縄戦がどんなものだったのかを聞く宿題がありました。

普段いつもニコニコ笑っているおじーやおばーから戦争のこと聞くなんて、思い出させて可哀想だなと小学生だった私は思いました。

おばーの親戚はみんな南部に逃げてほとんど全員が亡くなったそうです。

おばーは、おじーの戦争中の仕事(兵士に料理を作ったりしていたそうです)や小さい子2人を抱えて逃げることが難しかったため、ほかの親戚と逃げることを諦め中部で身を潜めていたそうです。

親族の多くを失ったことを、そのとき初めて聞きました。

おばーが話してる目は、いろんなことを思い出してとても辛そうだったことを今でも覚えてます。

またもう一人のおばーにも同じことを聞きました。

おばーは戦争の時に銃弾が足にあたり、今でもその跡があると大きな傷が残る足を見せてくれました。

当時は逃げることに必死で足に銃弾が当たったことも気づかなかったそうです。

命からがら逃げることが出来た、でもたくさんの人が周りで死んでいったと、目にいっぱい涙を浮かべ真剣に小さな私に話してくれました。

学校でも沖縄戦を経験したおじーおばーが泣きながら当時のことをたくさん語ってくださいました。

背負っていた弟の首が気づいたらなくなっていた。

壕で泣く小さな子を抱えた母親が日本軍に無理やり外に出されて泣く子どもを殺された。

兄弟が戦争を終わったことを知らずに自決した。

本当にたくさんの悲劇が、72年前の沖縄では実際におきてたんです。

小さい頃に聞いた話がほとんどですが、どれも忘れることは出来ません。

普段はこんな辛い思い出、絶対に思い出したくなかったと思います。

だけど私たちはそれを語ってくれる人がいるうちにちゃんと聞いて、知らなければならないと思いました。

平和の尊さを心から感じ
平和の意味を考え
平和な世の中を作る使命を

私は慰霊の日に学び知ることができました。

そして今、私に出来ることは、あの悲劇を繰り返さないために私が知ってる沖縄戦を、沖縄の思いをこの場で伝えていくことだと思いました。

歴史上最も悲惨と言われるこの沖縄戦のことを絶対に忘れてはなりません。

沖縄県民だけじゃなく、日本、世界全体でも決して忘れてはいけない歴史だと思います。

 

平和への願い

記事を読んでくださった方にお願いがあります。

23日正午に、沖縄に向かって一緒に黙祷してください。

目をつぶって沖縄戦で犠牲になられた方々へのご冥福と戦争を忘れず、平和な世の中を作っていくことを一緒に考えましょう!

伊志嶺利佳

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